今日は震災20年の日でした。
怪我で動けないので、TVの特集番組を見ていたら、当日のことが蘇ってきました。
もう、奈良に住んでいたので、大きな揺れでしたが、自宅の被害は微々たるものでした。
被害の情報が流れる前に家を出て、事務所で驚きの被害がTVで放映されていました。
実はそのときの情報は、ホントの被害のごく僅かなもの。
東灘に親類がいて連絡がつかないので、早々に安否を確認しに向かいました。
阪神高速倒壊の映像は見たので、車に自転車を積んで。
予想通り、車は西宮で立ち往生し、そこで乗り捨てて、積んでいった自転車で神戸入り。
そこからの道中は、予想をはるかに超えた阿鼻叫喚の地獄絵。
ガスの匂い中、住宅の瓦礫を、名を呼びながら必死で取り除いている光景は今も脳裏に鮮明に映し出されます。
そして燃え広がる火の手。それも1箇所2箇所ではなく、、、
手伝うことも出来ず避難所を巡ったことを思い出し、今でも胸が痛みます。
言葉ではもちろん、のちのショッキングな映像からでも現場の空気の十分の一も伝えきれていないです。
だから、東日本大震災も現地は凄まじいことだったのが想像できました。
災害現場の方は、そんなもんじゃないと・・・・
準備はもちろんしておかなければなりません。
しかし、それでもどうしようもない事も起きるんですね。
ホント、今を悔いないように生きていかないとな。